2012年11月22日木曜日

『メモ』という詩

かなり昔に書いた詩小説です。二十歳前後かなあ、と思います。

少しネガティブなところがあるので、
そこは気をつけていただけるとありがたいな、と
思います。

(詩小説、というのは詩というとわかりづらいな、と思って
わかりやすくするために作った造語です。)






『メモ』という詩小説

僕はいつからか、自分の心を持て余すようになっていた。何故なのか、よく自分で考えてみるけれど、中途半端な答えが出たまま義務を怠るかのような後味の悪さとともにそれを放り出してしまう。それは自分の心に刺激を与えることを恐れて、逃げ惑っているような、そんな感じだった。何も考えずに、部屋の中を見渡してみると、僕の頭と心の中は生まれたとき、何の記憶も持たない赤ん坊のように真っ白だ。僕はそれをぼんやり眺めながら、自分の中に巣くっているしこりの存在を感じている。やがて僕はその無の時間に奇妙な焦りを感じて、耐えられなくなって何か気を晴らしてくれるような義務を見つけ出そうとする。それは時により、勉強だったり、音楽だったり、絵画だったりした。でもしこりは疼き続けて、僕にその手を止めるように再三忠告してくる。僕はとうとう「うるさい」と叫んでしまうけれどその途端、僕は忠告に従っている自分に気づいてしまう。
前に純粋になりたいと思い、これ以上苦悩を感じなくてすむようにと思って、(僕はまだ幼くて罪の報復を感じていたので、この二つは同じ線上のものだった。)思考自体を止めてしまおうと思い付き、僕はそれにある程度まで成功することができた。すると言葉は僕の中からみるみる消え去っていって外界に壁を作り、僕の感覚まで達するのは鈍い衝撃と単純な出来事だけになった。視界はしばらくの間、全てを習慣へと転換するあの感覚媒体を通らずに僕の意識に直結した。するとこれまで隠されていた物体のありのままの姿が見えて僕は感動して数遍の詩を創って床に這いつくばりそれに接吻した。時が過ぎ去ってそれが理性の産物に徐々に変化していくと(ここで「しかし」と付け加えないのはそれが僕の感覚を刺激するからだ)再びしこりが僕を苛み始める。それに想像の力は言葉と共に僕の中から今にも消え去りそうだった。視界は画面で、僕から理性的な感情に反応する力を取り去った。慣れようとする努力も完全に放棄させるような感情を刺激する不快な出来事に出会うと、僕は目を細めて唇を離さないままただ自分の中に飲み込む。耐えられなくなったときは目を閉じて心の奥底へ戻り、それがゆっくりと消化するのを待つ。急激な、特に過去を針で突き刺すような出来事に出会うと僕は防御が間に合わずに、体が軽く痙攣してひどいときは叫び声を上げるだろう。そして自分に異変を起こす刺激、情報を極端に嫌うようになってしまう。でも僕は、籠もりがちな部屋の中で自分を苛むしこりの無意味さを理解しながら、そしてそれと同居して制しながら、それでもいつかそれから開放されて完全な静寂を手に入れることを、ずっと夢見続けている。






「僕」という一人称に、時間の経過を感じます。
(今なら私は女だし、それを大事にしたいので使うのをためらうかもしれないです。
幼いのではなく、立派な男の方で使っている人は、素敵な人も多いなあ、と思います。)


読んでくださりありがとうございました。







皆様に光と祝福の雨が降り注ぎますように。


0 件のコメント:

コメントを投稿