2013年4月30日火曜日

また引越し


また引越しをしました。
結局、江ノ島神社さんに簡単にいける場所になりました。

この三年で、何回引っ越したのか。数えてみたら、5回でした。
なんでこういうことになったのか、ひたすら体調がよくなることを祈って、でした。

今回の引越しは、ふたりの系統の違うかたにみてもらいました。
散々失敗したので。。

物件がパーフェクト、までは行きませんが、でもおふたりともOKの物件を選びました。(天使ヒーラー系統のかたと、神社仏閣や言霊、守護霊様系列のかた)
ちょっと急いでしまったので、軽い心残りがありますが・・・。
この地域に引っ越すこと自体は、両方に必然だとかそういう感じの感想をいただきました。

ここに引っ越してきてから、できるだけ散歩にいっています。
頭もだいぶすっきりしてきました。
良い気のおかげで、人につけられた念が取れていっているそうです。

そういう霊障、みたいなものは、本当に嫌なものです。
頭が何かネガティブなものに覆われたようになったり、まるで頭や首の筋肉に細い針金をいれられて、四六時中神経をいじられているような気分になったり、とにかく耳がふさがってる感じになったり。

余談ですが、あんまり明るくない男の人に興味を持たれても、かなり気持ち悪い感じになるようです。いったいどういうことか考えてみるのですが、私はそういえば、元夫のときがひどかったです。当時は、いったい何が原因かわからず、自分の気が変になったのかと思いました。

暗いことを書いてしまいました(≧∇≦)

ここに越してきてから、もう少し自信を持ってもいいのかな、と
思えるようになりました。

あと、自分の体について、もう少し考えないとな、と思います。
かなりよくなったものの、全快には身体を鍛えることも必要のようです。今のままだと、気圧とかそういう天候にまで、見事に左右されてしまいます。それはもう、海を漂う小さな木の葉のようにダイナミックに。
もっと強く、身体を所有しないとと思います。






皆様に健康と幸運と、あふれんばかりの光がふりそそぎますように。

2013年3月13日水曜日

江ノ島神社

最近江ノ島神社に通っています。

一年ぐらい前には寒川神社によく通っていたのですが、
毎日通って参拝だけするという観点からみると、
どうも江ノ島神社は、特別に相性が良いみたいで正式参拝でなく
普通のお参りでもダイレクトに体調が良くなるみたいです。


何度も通って、あと正式参拝も数度やって馴染みがでたせいか?、
苦手なタイプの人がいない場合、
参道を登っている途中でひどいコリが取れたりします。

何ででしょうか。
行くまでが坂道で若干大変だからでしょうか。
女だから、弁天様と相性が良いのでしょうか。
神社との相性って、もしかしたらすごく大事なんでしょうか。
寒川さんもすごくすごく良い神社ですが、半分男っぽい竹で割るような
雰囲気もあるので、そういうのもあるんでしょうか。
どうもグラウンディングが前よりずっと強くなった気がするのです。

とっても不思議ですが、とにかく
感謝感謝!!です*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

江島神社様、本当にありがとう。
いつかご恩返しができるといいです。





皆様に大きな光と祝福がいつも降り注ぎますように。






皆様に

2013年1月24日木曜日

キラキラなものを身につける

だいぶ良くなったのですが、やっぱり
時々首がパンパンになって辛くなってしまいます。

そんな最近手放せないのが、キラキラひかるもの。

今は、出来るだけ太くてキラキラしている腕輪をしています。
たぶんキラキラしているものならなんでもいいみたいです。

これをつけると、不思議、体調がさらによくなるんです!
腕につけるのに、頭や首が軽くなる...不思議です。



きっかけは、斎藤一人さんの言葉。

たしか、キラキラ光るものは魔除け、浮遊霊よけになるよ、
キラキラ光るなら、コハダでもなんでもいいんだよ、という感じでした。

心よりの感謝を斎藤一人さんに捧げます!
というか一人さんの本を読んでたら、
こんな人が地球に生まれてきてくれてありがとう、と思ってしまいました。



もともとアクセサリーとかつけていなかったけれど、
いろんなことにはそれなりに理由があるのだなあ、と。
浮遊霊は貧乏神でもあるそうなので、セレブが派手でキラキラしたものを
着ているのもなんだか納得…。

肌がツヤツヤしているのも同じような効果があるそうです。






皆様にたくさんの光と祝福がありますよう、
そしてすべての良きことが雪崩のように起きますように!



2013年1月9日水曜日

詩:物語 泉

泉の辺に君と出会う
澄んだ水鏡に青々と映る新緑
空と千切れた雲に一人魅惑され
盲目の私は君の声と戯れる

君の周囲に小鹿は集い
木葉と風の霊妙な譜にはたと酔いしれ
光とそよぎと命の息吹が君の装い
私は君に見とれ甘い香りを飲み干した

声を響かせる小鳥の囀り
漂う姿にただ影だけ面に映る
泉の波紋に伝わる涙
それでも姿を見せぬ君

幾千度の別れの辛さ
一つが胸に突き刺さる
君の求めた永久の友よ
ただ幼年の儚い思い出






学生時代に書いた「泉」というおとぎ話のようなファンタジーの
間に挟んだ詩です。






読んでくださりありがとうございました(*^^*)

皆様に光と祝福がたくさん降り注ぎますように

2012年12月28日金曜日

家内安全と交通安全

寒川さんに家内安全と交通安全をお願いしに行きました。
またさらに霊障その他が楽になりました。
ありがとうございます。


家内安全と交通安全だと、片方で交通で外で、片方で家の中、
結果的に常に守られる感じになるのですね。
ありがたいです。

すごい威力で、辛かった家の中が2,3割ぐらい!楽になりました。

前に深川さんに行ったときにとお願いした家内安全と交通安全と合わせて
少なくとも半分以上は楽になったように思いました。

こんなに楽になるなら、もっと早く行けばよかったです。


新年など、皆様も機会が合うときにお金を出して正式参拝したほうがいいです。
私は参るだけなら何度も何度も何度も行きましたが、(神社の正式参拝は一年ほど前に
病気平癒でやったのが最後でした)家内安全、全然違いました。
とってもおすすめです。



神様ありがとうございます。


 




皆様に光と祝福がありますように。

2012年12月7日金曜日

詩:おくりもの





これまで捧げた花たちが
私にとって濃密な
君にあげる、その行為が
薄むらさき色した花粉の匂いに
部屋中に散っている
そんな花に むせかえって










読んでくださりありがとうございました。

皆様に光と祝福がそそぎますように。


2012年11月22日木曜日

『メモ』という詩

かなり昔に書いた詩小説です。二十歳前後かなあ、と思います。

少しネガティブなところがあるので、
そこは気をつけていただけるとありがたいな、と
思います。

(詩小説、というのは詩というとわかりづらいな、と思って
わかりやすくするために作った造語です。)






『メモ』という詩小説

僕はいつからか、自分の心を持て余すようになっていた。何故なのか、よく自分で考えてみるけれど、中途半端な答えが出たまま義務を怠るかのような後味の悪さとともにそれを放り出してしまう。それは自分の心に刺激を与えることを恐れて、逃げ惑っているような、そんな感じだった。何も考えずに、部屋の中を見渡してみると、僕の頭と心の中は生まれたとき、何の記憶も持たない赤ん坊のように真っ白だ。僕はそれをぼんやり眺めながら、自分の中に巣くっているしこりの存在を感じている。やがて僕はその無の時間に奇妙な焦りを感じて、耐えられなくなって何か気を晴らしてくれるような義務を見つけ出そうとする。それは時により、勉強だったり、音楽だったり、絵画だったりした。でもしこりは疼き続けて、僕にその手を止めるように再三忠告してくる。僕はとうとう「うるさい」と叫んでしまうけれどその途端、僕は忠告に従っている自分に気づいてしまう。
前に純粋になりたいと思い、これ以上苦悩を感じなくてすむようにと思って、(僕はまだ幼くて罪の報復を感じていたので、この二つは同じ線上のものだった。)思考自体を止めてしまおうと思い付き、僕はそれにある程度まで成功することができた。すると言葉は僕の中からみるみる消え去っていって外界に壁を作り、僕の感覚まで達するのは鈍い衝撃と単純な出来事だけになった。視界はしばらくの間、全てを習慣へと転換するあの感覚媒体を通らずに僕の意識に直結した。するとこれまで隠されていた物体のありのままの姿が見えて僕は感動して数遍の詩を創って床に這いつくばりそれに接吻した。時が過ぎ去ってそれが理性の産物に徐々に変化していくと(ここで「しかし」と付け加えないのはそれが僕の感覚を刺激するからだ)再びしこりが僕を苛み始める。それに想像の力は言葉と共に僕の中から今にも消え去りそうだった。視界は画面で、僕から理性的な感情に反応する力を取り去った。慣れようとする努力も完全に放棄させるような感情を刺激する不快な出来事に出会うと、僕は目を細めて唇を離さないままただ自分の中に飲み込む。耐えられなくなったときは目を閉じて心の奥底へ戻り、それがゆっくりと消化するのを待つ。急激な、特に過去を針で突き刺すような出来事に出会うと僕は防御が間に合わずに、体が軽く痙攣してひどいときは叫び声を上げるだろう。そして自分に異変を起こす刺激、情報を極端に嫌うようになってしまう。でも僕は、籠もりがちな部屋の中で自分を苛むしこりの無意味さを理解しながら、そしてそれと同居して制しながら、それでもいつかそれから開放されて完全な静寂を手に入れることを、ずっと夢見続けている。






「僕」という一人称に、時間の経過を感じます。
(今なら私は女だし、それを大事にしたいので使うのをためらうかもしれないです。
幼いのではなく、立派な男の方で使っている人は、素敵な人も多いなあ、と思います。)


読んでくださりありがとうございました。







皆様に光と祝福の雨が降り注ぎますように。